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第53回 ニューヨークのその後 |
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締切までコラムのネタが全く思いつかなかったので、ニューヨークから帰国したその後のことでも書こうかと。自分探しなんて都合のいい言い訳を盾に、就職もしないまま、ニューヨークの後は東南アジアをふらふらしていた。情熱を注いできたはずの服にも興味が持てなくなっていて、旅というよりは逃避だったと思う。ただ暑くて、どこまでも混沌とした街で、毎日ビールを飲んではどうでもいいことをノートに書き殴っていた。50になった今、それらの記憶もずいぶん曖昧になったけど、あの時期がなかったら、きっと今の自分はいない。今回は、そんな話。
ニューヨークから帰ったからって、何かが急に変わるわけじゃない。
相変わらず自分探しの途中で、実家を手伝ったり、建築現場で揚重のバイトをしたり。
日雇いで日銭を稼ぎながら、これからのことを考えてるふりをしていた。
きっかけは『深夜特急』と『バックパッカーズ読本』。旅に出る理由なんて、そんなもんでよかった。
3~4ヶ月働けば1年くらい持つだろうという目論見も、いま思えばただの現実逃避だった。
1999年5月、1年FIXの航空券を買って、最初に降り立ったのがバンコク。カオサン通り。
言わずとしれたバックパッカーの聖地であり旅の玄関口。そこには、あらゆる種類の“どこかに行きたい人”がいた。
写真を見返すと「HARN GUEST HOUSE」ゲストハウスに泊まっている。当時のレートで日本円で約1000円のだったかな。カビ臭い部屋に、水しか出ないシャワー。でも、なぜか落ち着いた。
欧米の旅人たちは、生活そのまま持ち込んだような装備だった。
大型のバックパックに、ギターに、なぜか鍋。旅というより引っ越しみたいだった。
一方で、日本人はどこかミニマルだった。自分もDANAデザインの30リットル。バックパックひとつ。
到着初日。さっそく腹をくだす。もはや歓迎の儀式みたいなものだろう。
当時のカオサンは日本人も多くて、皆どこか似たような空気をまとっていた。
言葉じゃうまく言えないけど、“何かを探してる人”の顔をしていた。
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